離婚・モラハラ体験談

【モラハラからの脱却】離婚して仕事も辞めて全部捨てる決断をした時のお話。

Cinna

こんにちは、Cinna(シーナ / @web_cinna)です。

久しぶりの投稿です。

Twitterでは報告していましたが、昨年秋ごろに妊娠がわかり、ここ約3ヶ月ほどはツワリや体調不良などでお休みしておりました。

昨日から妊娠5ヶ月目の安定期に入り、体調もすっかり元気になってきました。

新しく新年を迎え、子供を授かるという初めての経験を日々実感していく中、

自分の中でなんだか心も晴れてきたような、新らしい道が見えてきたような

そんな不思議な感覚に。(体調よくなったからかな^^;)

自己紹介のページで簡単にですが綴っていた、このブログを始めた想いは

自分が生きていた中で一番苦しかった経験を乗り越えたあと、新しく見つけたものを

ここで発信することで誰かの役になれたらと思ったからです。

実は今までも自分の体験談を何度か記事にしようと試みましたが、できずでした。

まだまだ心の中がモヤモヤと白い煙に包まれているような感じで

思い出すことで涙がでたり気持ちがぐちゃぐちゃになって

そんな心境のまま書くことはできませんでした。

そして今、タイトルの通り、離婚して仕事も辞めて全部捨ててから約3年。

再婚して、新しい家族になって、そして新たな命を授かって、ようやく書ける気持ちに。

もしよろしければ、最後までお付き合いください^^

1回目のモラハラ結婚生活の時のこと

1回目に結婚したのは29歳の時。

6年間付き合って、結婚生活が3年でした。

離婚の理由は簡潔に言うと「モラハラ」でした。

この「モラハラ」という言葉、広く認知されるようになったのはここ数年でしょうか。

ずっと「精神的DV」だなとは感じていて、今はモラハラともいうみたいですね。

そしてこのモラハラのとてもやっかいなことが、行っている本人は自覚がないのです。

当たり前で自分は正しいと思っている…もしくは気づいていても正しいと振る舞っているか。

6年間の付き合いで「モラハラ」に気付かなかったのか

本当は気付いていました。でもずっと蓋をしていました。

結婚して豹変する人もいるかと思いますが、私の場合は付き合いだして3ヶ月くらい経った頃から。

当時22歳だった私は、17歳の頃から付き合っていた前の彼氏と5年ほど経った頃で、

その以前は学生らしく毎日部活のバスケットボールに明け暮れて、彼氏がいても短期間のもので

恋愛経験は豊富ではありませんでした。

5年付き合っていたその時の彼氏も同い年で同じく恋愛経験は豊富ではなく、

女心に効くうまい言葉なんて言えません。

就職も重なって少しずつすれ違っていく中、4歳年上の前の旦那と知り合いました。

そんな弱みに付け込まれるかのように、知り合ってから付き合う前や付き合って2ヶ月ほどは

とことん優しく、欲しい言葉をくれる人でした。

そんな簡単な言葉を信じて、交際をはじめました。

3ヶ月目ごろから徐々に怒られることが増え始めて違和感を感じるようになりました。

なぜ6年付き合って結婚したのか

怒られることに違和感を感じながらも、口がうまく正論化して話すのが得意な彼の言葉と

自分の中で感じる違和感のどちらが正しいのかわからなくなっていくのです。

「だからそうゆうところがダメなんだ」

“怒っているのは自分のために言ってくれている言葉”なのだと、

4歳年上の人が言うことの方が正しいのかもしれないと

錯覚したり混乱したりしました。

もっと理解して改善すれば自分の成長にも二人にとってもいいのかもしれない…

5年付き合った彼氏と別れて付き合いだしたのに、努力が足りないのでは…

などなど、今となってはそんな無駄な努力をしていました。

私が混乱しだしている姿を見てなのか、その頃、彼から「パニック障害になった」と言われました。

外に出られない、仕事もできない、電車に乗るのが怖い、

病気だから急に怒ってしまったり感情が抑えられない時がある、など。

それでも昔からの友達と話す時に、友達の彼氏との話を聞いたり

自分の今の状況と比べたり、前の彼氏との方が自分が自然で楽しかった記憶を思い出したり

やっぱり違和感を感じました。

幼馴染の親友に彼の言動を相談すると即座に「別れた方がいい」と言われました。

友達のいる場で電話で別れたいと告げました。

何度もかかってくる着信音、メールの嵐、

その内容は「死ぬ」「誰も頼る人がいないから生きていけない」などなど。

今となっては勝手にしろやって思うけど^^;

しばらく別れている間にも長文のメールが届いていました。

死ぬ的なこともあれば、優しい文章、感謝を綴られたり、、、

“病気になったから捨てた”みたいな罪悪感に支配されていきました。

自分自身を一番大切にするために断ち切る強さが必要だったのに、

結局は私自身の弱さで、人助けをするような感覚で、元に戻ってしまったのです。

そんなことの繰り返しで、繰り返せば繰り返すほど

今までの我慢してきたことや努力が足枷になっていよいよ別れることができず

自分の本当の感情に蓋をするようになりました。

その間にも彼の私を”否定する言葉”と「病気だからしょうがない」と

DVの特徴である後からすごく優しくなるのサイクルに飲まれて

思考は停止してどんどん自分を見失っていきました。

いわゆる共依存という状況になっていきます。

積み重ねてきた努力の先に”結婚”という選択、完全に思考停止ですね。

このころの詳細な体験談は別記事で書きますが、もちろん私も自分が

こんなことに巻き込まれるなんて想像してませんでした。

ドラマや人ごとだとバカだな〜なんて思っていたのに、まさか自分が。

だから余計に「人に言うことは恥ずかしい」そう思ってしまうんです。

でも隠せば隠すほど、そこからは抜けられません。

だからもし私のように苦しんでいる最中の人がいれば、

恥ずかしくないし、あなたが悪いのではないと伝えたいです。

エスカレートした結婚生活

付き合っていた6年間はお互いに実家暮らし、

結婚してからは、彼の実家で義父母と同居することになりました。

義父は若年性の認知症を患っており、同居してから間も無く施設に入ることに。

そこからは義母と3人暮らしでした。

旦那の親と同居なんて…と思われる方もいるかと思いますが、

私にとってはマシだったのかもしれません。

今考えると二人きりの空間は怖くて仕方ないです。

約3年間の結婚生活では、「モラハラ」はどんどんエスカレートしていきました。

彼はパニック障害から少し立ち直ってきて自営業で少しずつ軌道に乗ってきたころで、

私は家庭を支えるために結婚前からしていた正社員の仕事を続けていました。

ほぼ毎日終電で帰宅、買い物をして、料理をして深夜に夜ご飯。

もちろん、先に帰っている彼がご飯を用意してくれてることはありません。

「自営業だから自分は家に帰っていても常に仕事のことを考えている」そうです。

意味のわからない理由ですね、自営業だろうが会社員だろうが関係ないことです。

時間も自由で自分のために好きな仕事にチャレンジしている彼、

そんな彼の収入は十分ではなかったので、これからの家族のために仕事を続けている自分。

私の心の奥にも本当はチャレンジしたいことがありました。

今のようにフリーランスでweb制作の仕事をしたり、以前行っていたボイストレナーの仕事をしたりしたかったのです。

彼に相談してみても、「できない」「無理だ」と。

この頃には繰り返されてきた否定から自尊心がなくなって、自分に全く自信が持てず動き出せない、

しかしその気持ちは抑えても消えることはなく、

こんなことがいつまでも続くわけがなく、身体も精神的にも限界になっていきました。

ケンカも激しくなり、増す一方。

そしてケンカの中では蹴られたり、引きずられたりするようになりました。

DVの特徴でもある”外面がいい”のために、暴力の跡が残らない程度に

手を出してきたり物を破壊して怯えさせてきました。

3年後に彼の仕事が少し順調になりだすと、いよいよ大きな態度になり、

増えたはずの収入も以前の最低限のまましか家に入れてくれず、

優しくなるターンはもはやなくなっていました。

「モラハラ」からの脱却。離婚を決意したときのこと

結婚から3年経ち、ケンカもどんどん激しくなった頃、

いよいよ私自身が精神的に限界を迎えて壊れてしまいました。

どんなに頑張っても、気遣ってみても、

大事にされることはなく、

泣けば泣くほどキレられる。蹴られる。

自分のチャレンジを一番に優先させる旦那

そのための、ただただ収入面や都合のいい駒として扱われていることが

隠しきれずに痛いほど認めるしかなくなった時、

今までの9年間を振り返って、辛くて、悲しくて、情けなくて。

「離婚」という選択肢も、すごく怖かった。

「お前なんか離婚したあと誰ももらってくれない」と言われてた言葉、

バツ1になって、職場でもまた名前が変わって、これから1人で…

でも今の生活は苦しすぎてもうできない、どうしたらいいかわからない。

仕事中はなんとか耐えましたが、お盆休みの連休中、旦那が仕事で出張中、1人の時間に1日中涙が止まらず壊れました。

ようやく実家に一時帰宅。

ここで初めて両親の前でずっと泣きました。

今までのことも全部話しました。

一番心配させたくなかった、幸せだよと言ってあげたかった。

母は私の代わりにすごく怒ってくれました。早く帰ってきなさいと。

父は「離婚」が怖いという私の気持ちに寄り添ってくれました。でもいつでも帰ってきていいと。

数日実家で過ごして落ち着いて、一旦また家に戻りました。

旦那が帰宅して、うちの両親がやってきました。

まだ離婚を決意しきれていない私を気遣いながら、旦那に私をもっと大切にしてほしいと話してくれました。

両親が帰った後、旦那は私に激怒しました。

どんなに辛くずっと泣いてしんどかったか伝えても、無駄でした。

旦那も義母も「家のことは外には言うな」というスタイルでした。

ここでようやく、自分が精神科の病院に行くことにしました。

カウンセラーさんと先生に話をたくさん聞いてもらいました。

自分が間違っていないこと、頑張りすぎていること、人にもっと頼って話してもいいということ、ダメだと思わなくていいということ、たくさん寄り添ってもらいました。

かなり弱めの精神が安定する薬ももらいました。

だいぶ気持ちが落ち着き、少しずつ、職場の仲間や友達に話しを聞いてもらうようになりました。

家に戻って1ヶ月たった頃、

義母に「女は子供を産んで育て終わってから好きなことをしたらいい。旦那を立てて、仕事を支えるほうが家庭がうまくいく。」と言われたこと、

旦那とのまた大ゲンカの時に「愛情はない」と言われたこと、

ここでようやく、本当にようやく、

実家に帰り、別居しました。

共依存から、少しずつ自分を取り戻していった

別居してしばらくは、涙と体が震えたり、強い不安に襲われました。

「共依存」という状態に陥っていた私は、とにかく1人になることが怖くなってしまう状態でした。

そんな時に助けてくれていたのが、愛犬です。

結婚中、別居する数ヶ月前に旦那が欲しいといって飼いだした愛犬。

犬を飼ったことがあった私は大変だと思いましたが、パニック障害にもいいと言われ飼うことに。

子犬は当たり前ですが自分の思い通りになんていきません。

サークルを蹴ったり、怯えさせたりする旦那…やっぱりダメか…

必死で守りました。案の定、私に懐く愛犬。余計に可愛く思えないようです。

本当にこの人との子供がいなくてよかったと思いました。

それと同時に、愛犬は自分が絶対に一生幸せにすると誓いました。

そんな愛犬を連れて実家に帰り、まだまだ弱い私の側で、純粋にまっすぐ寄り添ってくれました。

両親と愛犬に支えてもらいながら、自分のやりたかったことを始めました。

とっても小さなことからです。

ネイルサロンに行ったり、美容室に行ったり、カフェ巡りをしたり。

こんな小さなことも、旦那といた時は機嫌を伺って、好きにできていなかった。

新しく社会人チームのバスケチームに入ったり、ロックバンドに加入したり。

今まで会えてなかった友達にいっぱい会いに行って、旅行にも行きました。

とにかく外にでて、色んな人に自分のことを曝け出して話しを聞いてもらいました。

以前はこんな重い話を人にしたら迷惑かなと思っていたのですが、逆でした。

みんなすごく真剣に聞いてくれて、今までなんで言わなかったの!と怒ってくれて

本気で心配してくれて、応援してくれました。

仕事も順調で、プライベートもたくさんの仲間と会えたり、新たに出会えたり、自分の好きなことを好きなタイミングでできる、笑顔がいっぱいの時間。

とっても自由でした。あれ?こんなに普通にすることが楽しかったんだ!って感じです。

どんどん自分を取り戻して、自信を取り戻して、1人でも大丈夫!いやむしろ1人の方が元気!となっていきました。

こんな風に「共依存」はとにかく、離れること、距離を置くことが大切です。

周りの人の助けを借りてもいいのです。自分が思っている以上にみんな優しい。

別居して3ヶ月、自分のペースで条件も全部まとめて準備して離婚しました。

一年後に元旦那から複数の連絡が来ましたが、一切取らずに全て拒否設定にしました。

全くもって後悔はなく、本当に抜け出せてよかったです。

8年続けた仕事も退職を決意し、再スタート

別居したころから、これから先10年、どんな人生を過ごしたいかを考えていました。

この時に働いていた仕事は、やりがいもあって、自分らしくいられる時間で、辛いことがあっても仲間がいて、本当に支えてもらっていたし楽しかった。

それでも、心の中にはチャレンジしてみたいことがありました。

この仕事の中でデザインをしたり企画をしたり、イベントをしたりした経験のおかげで、よりその分野で専門的な仕事に就いてみたいと思っていました。

また、将来子供をもった時に、この仕事ではキャリアを伸ばすのは難しかったり、就業時間が遅かったりが気になっていました。

10年後、ライフスタイルが変わっても続けられる仕事、自分らしくいられる仕事をしながら

ワクワクしていたい、今よりもっと自由に自分で選択できる生活になりたい、

家族のことを大切にできる人と一緒にいたいと思ったのです。

そのために今動くべきことは、「離婚」と「退職」でした。

大好きだった仕事を辞めることはとても勇気が必要でした。

webの専門的な仕事をするために何が必要かリサーチ、同時に今までできなかったチャレンジをできる時間も欲しいと思っていたので、「長期職業訓練(長期高度人材育成コース)」はまさにコレだ!という感じでした。

まだ職業訓練に合格できるかもわからないまま、

もう人生が一気に動きだしたかのように、決断はあっという間でした。

離婚をして約1ヶ月後には退職の意思を伝えました。

離婚があって今度は急に退職すると、職場の方々には迷惑も驚きもさせてしまったけど

もう自分を押さえ込んで周りを優先することはやめました。もう後悔したくないのです。

人手も足りないところ、大変だったと思いますが、仲間も応援してくれて、無事に職業訓練に合格し、通うことになりました。

さいごに

いかがでしたでしょうか。

なかなか濃いお話を長々と書かせていただきましたが、この1記事では書ききれないくらい色んなエピソードがあって、本当色々ありました。

でも本当に今にたどり着けてよかった!

自分に素直になることがこんなに難しく、こんなに大切だなんて。

このあと、職業訓練に通って、今の旦那さんとも出会って2度目の結婚をします。

このお話はまた別のエピソードでお話しますのでよかったらお付き合いください(^^)

Cinna

最後まで読んでいただきありがとうございました!

ABOUT ME
Cinna
Cinna
8年間働いた会社を辞めて2年間のwebデザイン長期職業訓練[長期高度人材育成コース]へ 2019年入学▶︎2021年終了 訓練終了後フリーランス 退職後にこれまでの生活を見直し、敏感肌、アレルギー体質を改善するため、肌断食と食事と運動による身体メンテナンスを自分の身体で実験中。体験談をレビュー。